生きている感覚を欲する
時は流れているけれど日々を生きている実感はない、
外出自粛が続くなかでこんな思いにかられることはないだろうか。
朝から晩までパソコンに向かって仕事をしたり授業を受けたりして、気づいたら1日が終わっている。
人は昔から狩猟採集・工芸をはじめ、からだを使って事を成してきた。
いまや、稼働するのは私たちの脳がほとんどである。
からだは私という実体のおまけにすぎないのか。
なぜ私たちはからだを持っているのか。
からだを使って外界に働きかけることで、外界からの刺激を得られる。
砂浜を歩くこと、山に登ること、友だちと話すこと、
思いっきり笑うこと、ただ何かに触れること、
どれをとっても確かな感覚があり、私たちのからだとこころを満たしてくれる。
インターネットを介した交わりをニューノーマルと捉える流れの中にあるけれども、
私たちは確かな感覚を欲することを止めはしないだろう。